突然、極めて青臭いことを言うようだけれど、物欲にまみれた生活というのは、人生の夢や目標を、それで置き換えて生きているということなのではないだろうかと思った。
夢や目標に向かって生きている時は、その目標を達成するための道具への物欲はあるだろうが、それ以外の物欲というのは、あまり感じないような気がする。
それがある日、夢や目標を諦めたとき、あるいは達成してしまったときから、人は「ただそれが欲しい」と言う類の物欲に生きてしまうような気がしてならない。
勿論、夢や目標に向かって生きている時だって、モノに溢れた現代日本に生きている以上、道具じゃなくたって欲しいモノはあるだろう。しかし、それを手に入れることを目標にして、そのために頑張ると言うことは、まずないように思う。
物欲=「モノを手に入れること」が目標になる時というのは、金銭的に余裕ができて、かつ人生の夢や目標を失ったときと言っても差し支えないのではないか。見栄のためとか自己満足のために「ただそれが欲しい」と言う類の物欲が起きるときと言うのは、それで夢や目標を代替してしまっているような気がする。
マズローの欲求段階説では欲求の五段階として、生理的欲求、安全の欲求、親和の欲求、自我の欲求、自己実現の欲求があると言う。
夢や目標の実現というのは「自我の欲求」や「自己実現の欲求」であり、「物欲」というのは、まさにこれらに置き換わるモノなのではないか。
マズローの欲求段階説が正しいかどうかは別にして、大げさに言うなら、人生の夢や目標を見失ったとき、それに置き換わる「自我」や「自己実現」を満たす方便が物欲なのだろうか。
自分は、2年ちょっと前に写真を始めてから道具を一から揃えた。それで写真を撮っているわけだが、ある時期、狂ったようにレンズやカメラの収集に走った時期があった。自分なりに、それは「必要だから」と考えての行動だったわけだけれど、どうやら、それだけではなかったような気がするのだ。

